Production Notes

4年にわたる石川行脚。

「能登で映画を撮りませんか?」と白羽監督が地元の方に誘われたのが、2004年の秋。プロデューサーも参加して本格的な企画に乗り出したのが2005年の夏。そして2007年10月10日から11月5日までの撮影中はもちろん、全国先行公開初日の2008年5月10日まで4年にわたり、プロデューサーは毎月のように石川県へ通った。

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被災者のへの想い。

主要キャストもほぼ決まり、撮影準備に取りかかろうとした、2007年3月25日、能登半島地震が起こった。白羽は、支援物資を車に積んで能登の知り合いのもとへ駆けつけた。神戸在住の白羽は、阪神淡路大震災の被災者で、その震災で親類を2人亡くしている。白羽にとって能登半島地震は他人事ではなかった。

能登半島地震復興支援映画。

地震と対峙した今、スタッフは、戸惑っていた。震災後の能登の被害は地理的なものだけにとどまらず、観光業界の痛手は想像を遙かに超えるものだ。そんな時だからこそ、震災を経てもたくましく、あかるい能登を描くことこそ、能登を熟知した私たちの役目ではないだろうか。その意気込みで脚本家は新しい脚本作りをはじめた。

地元も知らない能登を発見。

すばらしいロケーションがあふれていた能登だが、なかでも、姑・松子の家となった、穴水町志ヶ浦にある築120年を超える元海産物商の家は、建物そのものが古美術品のようで、いくらお金を積んでも再現することはできない、時の集積による圧倒的な美しさがある家だった。この家のすばらしさは、灯台元暗しで、地元の人も知らなかったらしい。

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究極の晴れ女、泉さん。

秋の能登地方は天候が不順になる季節。しかし撮影が行われた秋、雨による休止は一日もなく、連日ほぼ晴天がつづいた。「私はいままでロケで雨がふったことは一日もないのよ」という泉ピン子の言葉通り、泉が能登入りしてからはずっと晴天つづき。雨の予報がでていた花嫁行列の日も朝になるとすっかり晴天に。撮影をすべて終えた泉が東京に帰った翌日、待ちかまえていたように雨が降りだした。

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得意技を封印された女優たち。

石川県出身の田中美里は「金沢弁や能登弁が喋れる」と楽しみにしていた。しかし主人公のみゆきは都会育ちという設定で、話す言葉は標準語。他の俳優が喋る能登弁につられないようにするのに一苦労したという。もう一人、得意技を封印されたのが内海桂子師匠。都会からやってきて戸惑うみゆきをやさしく見守るフジは、とても寡黙なおばあちゃんという設定。「喋ってナンボの私に喋らさないなんて」と冗談を言っていた。

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20数年振りのキリコ。

キリコ祭りは珠洲市三崎町小泊地区で撮影された。過疎化が進み、祭りのシーズンさえ担ぎ手が集まらず、キリコも台車に乗せてひっぱるのが精一杯だった。ところが映画の撮影のために、近郊の人はもちろん、金沢などの町にでていった人もエキストラとして戻ってきた。その数約200人!御輿1基と3基のキリコが夜空に浮かんだ!この地区でキリコが担がれるのは20数年振りという。盛大に担がれたキリコを見て、何人もの老人が涙を流し、子供たちは「今年は2回もお祭りができる」と喜んでいた。

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エキストラは800名以上。

企画の段階から石川県の人といっしょにつくってきた本作では、さまざまなシーンで石川県民が参加した。輪島市長や珠洲市長の他、地元放送局のアナウンサー、さらには七尾市出身の世界的パティシエ辻口博啓、そして石川県中からエキストラとして参加してくれた県民は800名以上。1度目は映画を楽しんで、2度目は誰が出ているかを探して楽しむ、これが石川県民的「能登の花ヨメ」の見方だという。

真心こもった炊き出しに感謝。

撮影中に忘れられないのが、ロケ地周辺のお母さん方の、連日の炊き出しだ。鰺のつみれ入りの味噌汁、もずく入りの粕汁、キノコ汁、鳥とゴボウのすまし、メッタ汁といったお汁やカキフライなど、どれもがこの地ならではのおいしさで、俳優もスタッフも何杯もお代わりをした。新米のおにぎり、焼き栗、新酒などのおいしい差し入れも連日届けられた。

仮設住宅で桂子師匠の都々逸。

連日の心のこもった炊き出し、差し入れ、エキストラの参加、地元新聞社や放送局の温かい報道。そのすべてに心打たれた内海桂子師匠は、何かお返しをしたいと穴水町の仮設住宅を訪れた。三味線を弾いて桂子師匠の独演会が始まった。漫談で笑いをとり、「佐渡おけさ」を歌って踊って、最後に「(穴水の)志ヶ浦で 受けた日毎の食事の温み 能登の花ヨメ 興し入れ」と地元のお母さん方への感謝を都々逸にして披露した。

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大江千里、日本で最後の歌?

映画音楽を担当した大江千里は、「能登の花ヨメ」の録音を終えるとニューヨークへ飛んだ。長期滞在をしてジャズを勉強するためだ。日本のファンへの置きみやげとなったのが、「能登の花ヨメ」の映画音楽と、岩崎宏美さんが歌う主題歌「始まりの詩、あなたへ」だ。「この歌には、日本に残してきたすべての人への思いがこめられている」と、岩崎はこの曲を聴くなり深い感銘を受け、ぜひとも歌いたいと願った。

花嫁のれんと白無垢

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石川県の能登や加賀地方では、結婚風俗に古い伝統が受け継がれている。その代表的な風習が「花嫁のれん」。花嫁は嫁入りのときに家紋の入った華やかなのれんを持参し、花婿の家の仏間の入り口に掛け、玄関で合わせ水の儀式を行い、その後にのれんをくぐって先祖の仏前にお参りをする。これらの儀式がつつがなく終了してから結婚式が始まる。 もちろん、花嫁の嫁入り衣装は白無垢。白い掛下に白い打掛を羽織り、帯や小物に至るまで白一色で統一した装い。髪は文金高島田に結い上げ、挙式では綿帽子または角隠しで覆う。清純無垢を表す「白」は、「これからどんな色にも染まります」という花嫁の思いを表しているとされる。

キリコ祭り

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キリコ(切籠)とは、切子灯籠(きりことうろう)の略称で、奥能登地方に発祥し、その後能登全体に広がったと言われる。内部にろうそくの火を灯す御神灯で、このキリコが御輿に供奉して道中を照らし、神様をお守りしながら群舞する祭りを総称して「キリコ祭り」と呼ぶ。その起源としては、心身のケガレを祓い流して清浄を求める、夏祓いの行事に由来するようである。
7月、能登のキリコ祭りの先陣を切るのは、キリコや御輿が大暴れする「あばれ祭り」(能登町)。8月に入って「石崎奉燈祭」(七尾市)、キリコの数が一番多い「八朔祭り」(輪島市)、キリコが海に入る「沖波大漁祭」(穴水町)、輪島塗のキリコが林立する「輪島大祭」(輪島市)、華麗な「蛸島キリコ祭り」(珠洲町)など各地で個性的なキリコ祭りが繰り広げられる。

コケ鍋の作り方

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イラスト・書:内海桂子 (画像クリックで拡大表示)